モンゴル国の概要
モンゴル国は東アジアの北部に位置し、北はロシア連邦、南と東西は中華人民共和国に接している海の無い内陸国です。国土の面積は156.7万平方キロあり、日本の4倍以上あります。人口は308万人にで(2016年統計)、
その半数近くが首都ウランバートルに集中しています。人口密度は2人/km2と言う低さで、地方へ行くと集落以外で人に出会うことは非常に少ないです。ちなみに、飼われている羊と山羊の数は2,000万頭以上いるので、彼らには
しょっちゅう遭遇します。
国旗は右の写真のように赤の中央に青を配置し、左には火・地球・水・太陽・月・陰陽を表していると言われる「ソヨンボ文字」が描かれています。
左の国章は中央に風の馬「ヒーモリ」を配し、下は緑の山並みが表現されています。モンゴルは晴天日数が多いことから、モンゴルの人々は大空を崇拝し、その青色が尊い色とされており、国旗にも国章にも使われています。
また、儀式に使うハダク khadag と呼ばれるスカーフも青色で、これも国章の中に描かれています。
この国があるモンゴル高原は4億数千年前に海から隆起した大陸が浸食された地形で構成されています。国土の平均標高は1,580mもあり、ウラーバートルの標高も1,351mです。首都の緯度は北海道あたりと同じなので夏も涼しいですが、冬の寒さは
半端でないそうです。国土の北部は比較的降雨が多いので緑の草原からシベリアの森林地帯につながっています。南の中国と接する地方は砂漠が広がり、モンゴル語で「乾燥地」を意味するゴビ Govi と呼ばれています。西部は高いアルタイ山脈が
あり、中国との国境沿いに東部へ延びて消滅します。また、ウランバートルの西のほぼ中央にはハンガイ山脈があります。
モンゴル高原では新石器時代からの人類の活動がありましたが、その後、紀元前3世紀の匈奴以来、トルコ系とモンゴル系の民族の興亡が繰り返されました。最も有名なのが、13世紀に隆盛を極めたチンギス・ハーンによる大帝国で、西は中部ヨーロッパ
(ハンガリーあたり)まで、西は朝鮮半島までを統治しました。その後、清王朝の配下に納められましたが、清王朝が1911年に辛亥革命で倒れたのを期に独立します。影響を受けていたロシア帝国の社会主義革命に伴って、モンゴルも社会主義国
「モンゴル人民共和国」となり、ソビエト連邦の影響を受けることになりました。しかし、1989年末のベルリンの壁崩壊に象徴されるソ連・東欧の情勢の変化に伴いモンゴルも社会主義を完全に放棄して、1992年に議会制民主政治を行う「モンゴル国」
になりました。
モンゴルの文化・生活
モンゴル系部族は17部族が居住しているそうですが、私達が滞在中によく耳にしたのは最も数が多い ハルハ部族と北に居住するブリアート部族です。公用語はウラル・アルタイ語族に属するモンゴル語で、同じ語族の日本語に文法が比較的似通っていると言われています。ちなみに人の名前は姓→名の順で日本と同じです。文字は古来縦書きで、 行は左から右に書かれるモンゴル文字が用いられてきました。左図の文字がそれで、「モンゴル」と書かれています。社会主義国家になった際にソビエト連邦の指示により1941年にキリル文字が取り入れられ、言文一致の表記になりました。モンゴル国になって 以降、民族意識の高揚から再びモンゴル文字を使用しようとする気運が高まりソ連時代には禁止されていたモンゴル文字の教育も始まりました。ここ数年、モンゴルを訪れるたびにモンゴル語の表記が街中で増えてきたように思いますが、なかなか普及は難しいようです。 特にコンピュータやスマートフォンに対応していないことから、モンゴルの人達がSNSに投稿するのはキリル文字かラテン文字アルファベットです。
モンゴルの宗教
ガンダン寺の観世音菩薩像 |
モンゴルの宗教はチベット仏教と土着のシャーマニズム信仰があります。ちょうど日本の仏教と神道の関係のようです。社会主義国だった時代には宗教活動は厳しく制限され、多くの寺院や僧院が破壊されました。
モンゴル国になってからは破壊された多くの寺院が修復されたりして、信仰を集めています。ウランバートル最大のお寺、ガンダン寺へ行くとマニ車を回して熱心に祈祷する多くの人がいます。遊牧民のゲルを訪れると、
ゲル内の奥にダライ・ラマの肖像写真が飾られていたのも印象的でした。
シャーマニズム信仰は自然に神がいるという考えで、道路の主要な場所にある石積みのオボーでは、時計方向に3度回って馬乳酒をかけたり、指にウォッカをつけて天に向かってはじいたりして旅の無事を祈ります。
遊牧民の生活とおもてなし
遊牧とは家畜を飼って、季節、餌となる草の状況を見ながら移動する放牧の形態です。飼っている家畜は北部では羊、山羊、馬が主に飼われていますが、南部のゴビではラクダが加わります。また、山岳地帯で 気温が下がるところではヤクも飼われています。移動は新しい草を求めて数週間間隔で行われますが、最近は国が草の状況を携帯電話を使って流しています。すみかであるゲルの組み立て・分解は3,4人がかりで 1時間程度で終わり、トラックに積んで移動するのが最近の傾向のようです。家族で移動しますが、学齢期の子供がいる場合、子供達は寄宿舎生活になります。夏休みなどの長期の休みには遊牧に合流して 一緒に過ごします。学校が始まる9月のウランバートルは、学校に戻る子供達を送ってきた車で大渋滞が起きるほどです。 私達が植物の調査のために移動していた時には、遊牧民の皆さんにはお世話になりました。まず、なんと言っても道案内です。道があるのかどうかわからないような草原や砂漠地帯での移動は、ベテランの運転手でも 大変です。そんなときに色々と、植物の情報も含めて教えてくれました。また、ゲルでもお世話になりました。伝統的に、ゲルがある場所への歓迎は下の写真のように、馬乳酒を捧げ持つ女性によって行われます。
歓迎されているいかついおじさんは、当時の国立モンゴル農科大学の学長、ビャンバー先生です。 |
私達がテレルジのツーリスト・キャンプを訪れた時はこんな可愛いお出迎えがありました。このときはもちろん馬乳酒ではなくて、ミルクでした。 |
さて、ゲルの訪問は、風が強い日に屋外でプロパンガスを使っての食事の用意が出来ない時にゲルのストーブを使わせてもらうためでした。いつも快く使わせてもらえ、必ず馬乳酒やチーズで歓迎して頂きました。ストーブは 家畜の糞を乾燥させたものですが、非常に火力が強いのには驚きました。
調査旅行の途中ではゲルでおもてなしを何回も受けましたが、最大のおもてなしは羊を1頭使っての石焼き料理、ホルホグです。たき火をして、その中でこぶしより一回りほど大きい石を熱します。使う容器はちょうどミルクを輸送する缶のようなものを
使います。密閉できることが大切で、1,000mを超える高地のモンゴルでは圧力をかけないとうまく調理できないからだと言うことです。肉と一緒にジャガイモ、タマネギ、ニンジンなどの野菜も焼けた石と交互に入れます。石は焼けているので、投入すると
湯気が立ってきます。味付けは塩だけです。全て入れ終わったら蓋をして、たき火の上に置いてさらに加熱して調理します。
内臓は別に取り出し、血は胃袋に詰めます。内臓は肉とは別に塩ゆでして食べます。遊牧民である彼らは感謝の気持ちを持って1頭の羊を余すことなく食べます。骨付きの肉も各自持参の小さなナイフで骨が白く見えるまで徹底的に肉を剥がして食べます。
よく犬がうろついていてほしそうな顔をしますが、彼らがもらうのは肉を完全にそぎ落とした骨だけで、肉を犬にやるのは厳禁です。
丁寧に皮を剥がして解体を進めます。 |
内蔵だけは別にとりわけ、血も胃袋に詰めます。全て余すところなく利用します。 |
調理に使うのは牛乳缶みたいなもので、密閉できるようになっています。たき火で焼いて置いた石と肉、ジャガイモやニンジンの野菜を交互に入れます。味付けは基本的に塩だけです。 |
容器をたき火の上にのせて加熱して調理します。 |
内臓だけは別に塩味で調理します。見た目はちょっとグロいですが、意外とおいしいです。 |
ゲルの横、草原での食事を楽しみます。 |
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お酒の話
モンゴルの伝統的なお酒は馬乳酒です。正真正銘の馬のミルクだけで造るお酒です。
恐らくミルクを発酵させて造るアルコール飲料は世界中を探してもここしか無いと思われます。モンゴル語でアイラグと呼ばれるこのお酒は、伝統的には牛の皮で造った袋で醸造していましたが、今はプラスチック製の青い樽のようなものの中で作っています。
ゲルの中に置いたこの容器に新しい馬乳を継ぎ足しながら作っています。夜、皆で食事をした後などに、容器の馬乳酒を棒でかき混ぜながら歌う歌はなんとなくもの悲しげで、日本の民謡にも通じるものを感じます。ゲルで作られているのは発酵が可能な
夏の間だけで、その時期には道路沿いでペットボトルに入れた自家製の馬乳酒を売っています。
こうして出来た馬乳酒は日常的に飲まれ、ゲルを訪れる人のおもてなしにも使われます。アルコール分が低いと言うこともあって、子供も飲んでいます。飲む時には独特のお椀を使います。ゲルでおもてなしとして馬乳酒を頂く時の作法は、右手でお椀を持ち、
左手は右手の肘を支えます。酒の味はアルコールを少し入れたヨーグルトのような感じです。ただ、乳酸菌の種類が違うのか、作っている家族によって味もアルコール含有量もずいぶん違います。微炭酸を感じられる場合もあります。慣れると結構おいしく
感じられますが、もとより殺菌処理とかは皆無の状態で作っているので、胃腸に自信の無い方は避けた方が良いかもしれません。
この馬乳酒を蒸留したのがシミーン・アルヒです。これも簡単な蒸留装置まがいのもので自分たちで作っています。蒸留装置が簡素なものなので、蒸留酒とは言え、アルコール度数は10度以下です。自家製なので余り目にすることはありませんが、色は
ほぼ無色透明、まだミルクの味が残っていて、これと比較できる酒は知りません。このシミーン・アルヒに替わって最もよく飲まれるのがツァガーン・アルヒ 、つまりウォッカです。単にアルヒと呼ばれています。これはソ連時代に影響を受けて飲まれるようになった
穀物から作る蒸留酒で、アルコール分は40度ほどあります。儀式的にも使われ、私達が山の中へ調査に入る前は小指をウォッカにつけて、山に向かってはじいて山の神様に無事を祈ります。その後、小さなガラスのグラス(山では紙コップ)に注いで、
皆で回し飲みです。左の写真でおじさんが注いでいるのがウォッカです。車の中のどこからかウォッカの瓶が出てくるのが不思議です。ちなみに注いでいるのは運転手で、もちろん自分は飲まずに人に飲ませる役です。このお酒を飲んでから
山を登るのはかなりきつかったです。皆で食事をする際もこのウォッカが主役で、瓶が空になるまで回し飲みをします。ようやく空になった頃、聞きつけた近所のゲルの人がバイクか馬に乗ってやってきて合流しますが、必ずウォッカの瓶を携えていて、また回し飲みが
始まります。
もう一つあげておきたいのはモンゴルのビールです。恐らく、社会主義時代に同じ陣営だった東ドイツからの技術移入で作り始められたと思われます。いくつかメーカーがありますが、いずれもあっさりした飲み口でおいしいです。何よりも安いのが
ありがたいです。私はチンギスとアルタン・ゴビ(金色のゴビの意)が好きです。残念ながら生ビールを置いているレストランは少ないです。
食 事
モンゴルの人たちの食事は伝統的には肉食です。スーパーの肉売り場に行くと日本では考えられないような量の肉の塊、しかもその多くは骨付きの状態で写真のように豪快に売られています。さらに、足が付いたまま、つまり頭以外はそのままの状態で
売るというのは日本人の感覚としてはあり得ないです。遊牧民はかつて夏の間は
乳製品を中心とした「白い食事」を、冬になると肉が自然状態で冷凍保存できるのでもっぱら肉を食べる「赤い食事」を摂っていました。一方野菜はと言うと従来はほとんど食べられていなかったのが実情でした。遊牧民にとって一定の場所で作物を
栽培すると言うことは不可能です。しかも土地には神が宿っているのでそこを耕すと言うことは冒涜だという遊牧民独特の宗教観もあって、栽培するという概念がありません。しかし近年、ウランバートルのような都市部に住む人たちは冷蔵庫の普及により夏でも肉を
食べるようになりました。その結果、成人病の多発と平均寿命が延びないことから、政府は野菜栽培の促進に力を入れているようです。下の写真は、2005年にウランバートルで見かけた、ウランバートルの北にあるシャーマル村(Shaamar sum)の野菜の宣伝販売です。
野菜の種類はかなり多く、品質もまずまずの出来でした。
ゴビ砂漠の北に位置して比較的水が豊富なバヤンホンゴルでも野菜が多く栽培されていました。たまたま、日本の農林水産省の野菜試験場で研修をしてきたという人にも偶然会いました。
一方、コムギは古くから使われていたらしく、モンゴルの伝統料理に多く使われており、小麦の生産は自給が可能なくらいはあるそうです。「小麦のスープ」と言う意味の「ゴリルタイ・シュル」は肉のスープに麺が入っています。肉は羊が主ですが、
牛肉の場合もあります。味付けは塩のみです。ジャガイモやニンジン、それに青ネギが入る場合もあります。よく朝食に出ますが、スープとは言え、肉の量が半端でないので朝から食べるにはちょっと重すぎる感があります。ホーショールは餃子を揚げたものですが、
大きさがかなり大きく、食べ応えがあります。羊肉がどっさり入っており、塩味なのであっさりしていますが2,3個食べたらお腹はいっぱいです。シュウマイをかなり大きくしたのがボーズです。これもぎっしりと肉が入っています。ホーショールにしても、このボーズにしても
醤油と辛子で食べるとおいしいと思い、日本から持って行こうと思いつつ、ついに実現しませんでした。
ゴアンズと呼ばれる一般的なレストランで食べたり、ホテルで食べる時はよくワンプレートの料理が出てきます。肉を焼いたり炒めたりしたものに生野菜が添えられており、味付けは多様です。肉は羊肉、馬肉、牛肉、豚肉、鶏肉と、何でもあります。魚が出ることも
ありますが、海の無い国なので川魚です。それに必ずご飯が付いています。ナイフとフォークで食べるところなど、洋風化しています。最近は少なくなったようですが、一時期は必ずキムチが付いていました。これは韓国企業が多数進出してきており、韓国人が持ち
込んだ風習ではないかと思われます。日本で食べる洋食定食と似通っており、口によく合いますが、量はかなり多いです。
肉のスープ「ゴリルタイ・シュル」 | 大型の揚げ餃子「ホーショール」 |
ボーズ | 馬肉のソテー |
鶏肉のソテー ミルクティー、「チャイ」と | モンゴルビール「アルタン・ゴビ(黄金のゴビ)」といっしょに |
モンゴル相撲 ~ブフ~
モンゴルの文化で忘れてはいけないのは相撲です。モンゴル語では「ブフ」と言われています。
日本の相撲と相通じる最大の点は神事として行われてきたと言うことでしょう。ただ、歴史は圧倒的にこちらの方が古く、紀元前3世紀にはその記録が残っています。ルールはかなり違っており、まず土俵はありません。大草原でやるので
取組中はそこら中を動き回ります。勝敗は相手の体のどこかが地面に付くまで決まりません。また、同じ場所で何組も取り組みが行われているので、よく見ていないと知らない間に終わってしまい、一番良いところを見逃してしまいます。
力士の数は6,000人いると言われており、日本の相撲力士の数の10倍近くいます。モンゴルの人口が少ないことを考えると、相撲人口率はかなり高いと言えます。競技は主に夏のナーダムの際に行われますが、日頃からそのあたりで
取っ組み合いのように見える練習をしているのをよく見かけました。
元々相撲文化があった上に、日本でのモンゴル人力士の活躍が素晴らしいことから、日本相撲への関心は非常に高いです。2007年に行った時にはすでに白鳳関が銀行の宣伝キャラクターとして馬鹿でかい広告になっていました。
テレビではNHKの衛星中継にモンゴル人の解説者がコメントを入れて、そのまま放映しています。日本と1時間の時差があるので、終盤の取り組みの頃はまだ5時前なので勤務中のはずですが、職場に置いてあるTVを見てみんな騒いでいました。
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