ミラノからフィレンツェへ
6月11日の朝、9時20分の列車に乗ろうと中央駅へ行きます。ところが定時になっても列車はホームに入って来ません。周りに駅員もいませんし、乗客に聞いてみても英語は通じません。アナウンスはイタリア語だけで、
かろうじて聞き取れた数字から判断して、プラットホームも変わるらしいことがなんとなくわかり、移動しました。結局、30分以上遅れて発車しました。フィレンツェまでは高速列車「赤い矢」号で1時間40分の快適な旅でした。
宿泊はサンタマリア・ノヴェッラ駅のすぐそばのアパートなので、鍵をもらうためにあらかじめメールで連絡を取っていましたが、列車が遅れたせいか待ち合わせ場所には誰も来ません。携帯電話がうまくつながらないので、観光案内所から電話してもらって
ようやく落ち合うことが出来ました。
1日目 ドゥオーモとその周辺
ホテルで一休みして、ドゥオーモに向かいます。フィレンツェの象徴とも言われるこのサンタ・マリア・デル・フィオーレ(Santa Maria del Fiore)の大聖堂は1296年から1世紀半をかけて建築されました。ドーム状のクーポラの 直径は50m、先端までの高さは91mあり、街のどこからでも見ることが出来ます。石積みのドームとしては世界最大級です。巨大な側面の壁は白の大理石を基調として、赤と緑の大理石で装飾されており、とても石で出来ているとは思えない繊細さです。
しかし、なんと言ってもその正面のフィレンツェ・ゴシック様式の華麗な外観には何度見ても圧倒されます。
ドゥオーモの前には白と緑の大理石で作られたサン・ジョヴァンニ洗礼堂(Battistero di San Giovanni)があります。8角形のロマネスク様式の建物で、中に入るとドームの天井に描かれた13世紀のモザイク画が素晴らしいです。
ドゥオーモのすぐ横には付属博物館であるドゥオーモ・オペラ・博物館(Museo dell'Opera del Duomo)があります。ここには洗礼堂の北側にある黄金の「天国の門 Porta del Paradiso」のオリジナルが展示されています。 また、当時使われていたモザイクの美しい装飾の断片や、1587年に未完のまま取り壊された大聖堂の正面が再現されています。その他、ミケランジェロ80歳の時の作品「ピエタ」やドナテッロの「マグダラのマリア」など、どこかで見たことのある作品がいっぱいあります。 また、「ドゥオーモの間」ではクポーラがどのようにして建設されたかが展示されており、興味深かったです。
その後は予約がしてあったアカデミア美術館(Galleria dell'Academia)へ行きます。ここは余りにも有名なミケランジェロの「ダビデ像」と「奴隷像」がありますが、他にもルネッサンス期の画家達、ボッチェッリ、リッピ、ペルジン達の素晴らしい宗教画を 見ることが出来ました。
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2日目 ウッフィツィ美術館~ピッティ宮
2日目は朝一番にウフィッツィ美術館を予約しているので、7時半過ぎにホテルを出て歩いて行きます。ドゥオーモ広場もさすがに人はまばらで、シニョーリア広場の前も静かです。ヴェッキオ宮の前でゆっくりと記念写真を撮ることも出来ました。
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ウフィッツィ美術館には先頭集団で入れました。回廊を歩く時も誰もいない空間でした。ボッティチェッリの「春」と「ヴィーナスの誕生」もまだほとんど人がいない状況で静かに見ることが出来ました。日本語をしゃべる中国人の若い男性に頼まれて 写真を写しましたが、彼も我々の写真を写してくれました。
ウフィツィ美術館では2時間ほどを過ごしました。とても短時間で見られるような展示の量ではありませんでしたが、ルネッサンスの宗教画を中心とした作品には圧倒されました。結構疲れて、アルノ河畔に出ます。 ヴェッキオ橋を渡りますが、宝石店などが軒を連ねる風景は25年前と変わりありません。当時の通貨はまだリラでしたが、インフレの影響で半端でない桁数になっていて正札が読ず、面倒になって値段も確かめずクレジットカードで財布を 買ったことを懐かしく思い出していました。川を渡って緩やかに登るとピッティ宮に到着します。
ヴェッキオ橋 Ponte Vecchio |
ピッティ宮 Palazzo Pitti |
ピッティ宮殿(Palazzo Pitti) はメディチ家のライバルだったルカ・ピッティ家のために建築が始まりましたが完成を見ることなく彼は亡くなります。その100年後の1548年からメディチ家のコジモ1世により建築が再開されました。 広大なルネッサンス様式の建物にはいくつかの美術館が入っています。そのうちの一つ、パラティナ美術館(Galleria Platina)には、メディチ家が美術品の収集に熱心だったことから、ラファエル、ティツィアーノ、ボッティチェリ、リッピ、ルーベンスなどの名画が納め られています。宮殿の奥は傾斜を利用した美しいボーボリ庭園(Giardino di Boboli) があります。かなり暑かったですが、一番高いところまで登るとフィレンツェの町並みを望むことが出来ました。
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再び街に戻り、ホテルへ帰る途中にサンタ・マリア・ノヴェッラ大聖堂(Basilica Santa Maria Novella)に立ち寄ります。このドミニコ修道会の教会は1279年から1360年にかけて作られ、美しい正面だけは15世紀に作られました。 内陣はルネッサンス期の画家、ギルランダイオ(Ghirlandaio)が1485年に聖母マリアと洗者聖ヨハネの生涯を描いた素晴らしいフレスコで覆われています。また、側面にあるブルネレスキ(Brunelleschi)の「キリストの磔刑」も素晴らしいです。500年以上も前の多くの フレスコ画が、このような華麗な美しさで残っているというのには本当に驚きます。
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聖母マリアと洗者聖ヨハネ(1485) |
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いったんホテルへ戻って一休みしてから「丘の遊歩道 Passeggiata ai colli」へ行くことにします。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅からバスに乗りますが、市街地は通らずにアルノ川を渡り、西の方まで行ってから丘を登りました。 一体、どこへ連れて行かれるかと思うほど時間がかかりました。丘の上にはミケランジェロ広場(Piazza Michelangelo) があり、フィレンツェの町並みを一望することが出来ます。ようやく涼しくなってきた風に吹かれて、気持ちの良い時間を過ごすことが出来ました。
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3日目 サン・マルコ大聖堂・メディチ家のチャペル・メディチ・リカルディ宮殿
今日もドゥオーモ広場を通って、サン・マルコ聖堂(Basilica San Marco) へ向かいます。聖堂の中に入ると主祭壇の前で古楽のグループがリハーサル中でした。リュートの音色も教会堂の中によく響いて心地よかったです。 この教会には修道院が付随しており、その中庭はフレスコ画で装飾された回廊で囲まれています。修道院の2階は僧坊になっており、階段を上がったところにあの有名なフラアンジェリコ(Fra'Angelico)の「受胎告知」があります。木組みの天井を持つ建物の中にあるこの絵は特に印象的でした。 僧坊の各部屋にはフラアンジェリコが描いた聖書の場面の絵があり、趣深いです。出口近くの店がある広間の壁には、ギルランダイオが描いた「最後の晩餐」のフレスコ画が何気なくあったのも印象的でした。
主祭壇前での古楽アンサンブル |
修道院の中庭 |
フラアンジェリコ「受胎告知」 |
ギルランダイオの「最後の晩餐」 |
サンマルコ修道院で静かな時間を過ごした後、、メディチ家礼拝堂(Capelle Medicee) に向かいます。15世紀に建てられたサン・ロレンツォ教会の付属施設としてメディチ家の依頼で16~17世紀にかけて建築されました。
遠くからでも目立つ59mの高さのドーム屋根を持った八角形の建物が「君主の礼拝堂 Capelle dei Principi」です。内部は大理石で華麗に装飾されており、コジモ1世以降のメディチ家の6個の石棺が配置されています。
「新聖具室 La Sagrestia Nuova」 はミケランジェロが設計したことで知られており、対になったジュリアーノ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(Giuliano di Lorenzo de'Medici)とロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ(Lorenzo di Piero de'Medici)の
霊廟があります。それぞれはミケランジェロの「夜と昼」および「夕暮れと曙」の大理石像で飾られています。
ジュリアーノの墓 |
ロレンツォの墓 |
メディチ家に関わるもう一つの建物、メディチ・リカルディ宮殿(Palazzo Medici Ricardeli) は15世紀半ばに建てられた割と地味なフィレンツェルネッサンス様式の建物です。入ったところはオレンジの鉢植えが置かれたメディチの庭で、 建物に入ったところは柱廊に囲まれた吹き抜けの中庭になっており、落ち着いた雰囲気です。フレスコ画と鏡に囲まれた豪華な「鏡の間」や、三方をベノッツォ・ゴッツォーリ Benozzo Gozzoli による見事なフレスコ画で囲まれた小さな「マジー礼拝堂 Capella dei Magi」などがあります。 「鏡の間」の天井は Luca Giordano の天使を描いたフレスコ画で覆われ、壁は鏡で装飾されています。それほど観光客も多くなかったのもよかったです。
メディチの庭から見た宮殿 |
宮殿の庭 |
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「マジーの礼拝堂」のGozzoliによるフレスコ画
「東方の三博士」の行列を描いており、当時のフィレンツェの様子がしのばれる
ドゥオーモのクポーラに登る
ドゥオーモのドーム型天井のクポーラは高さが91mあり、その最上部まで登ることが出来ます。1990年に来た時は元気いっぱいで登りましたが、あの狭い463段の階段を上まで登れるかどうかいささか心配でした。 登るのには予約は必須ですが、予約時間に行くとあまり待たずには入れました。狭いらせん階段を登るのはやはり大変でした。途中、ドームに描かれたフレスコ画を間近で見ることが出来る場所があり、しばし休憩です。最後の急な階段を登り切ると、 素晴らしいパノラマが広がっていました。
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3日間のフィレンツェ滞在でしたが、巨大かつ繊細で華麗な建物、中世の余り動きが感じられない宗教画から人間味あふれる宗教画への変化、素材が石であるとは信じられないような彫刻の数々を目の当たりにすることが出来ました。 フィレンツェが繁栄し、このドゥオーモの建築が始まった13世紀末は日本は北条家が統治する鎌倉時代、メディチ家によるルネッサンス文化が花開いた15世紀頃の日本は足利家による室町時代でした。そのような歴史の流れを考えると、感慨深いものがありました。
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