フランスとの関わり
1974年から2年間、フランス国費留学生としてパリ南郊外で生活をしました。その後、1990年には今度は仕事で半年間パリ市内に住みました。長期滞在中にはアマチュア無線のクラブにずいぶんとお世話になりました。 特に、1994年からは日仏両政府間で相互運用協定が発足し、簡単な手続きでフランスでの運用が可能になりました。VHF/UHFのハンディー機を持って行って交信を楽しむことができました。なお、現在は申請すること無く、 日本の免許だけで運用が可能です。
Radio Club d'Ivry F6KAW
フランスでの生活が始まって半年後、当時パリ市内にあったフランスのアマチュア無線連盟である Réseau des Émetteur Française (REF) を訪れました。そこで紹介してもらったのがパリに隣接するIvry(イヴリ)にあるRadio Club d'Ivryでした。土曜日にミーティングをしていると言うことで12月のある土曜日に訪問しました。クラブは14階建てのアパートの屋上にあり、アンテナがあるのですぐに分かりました。
一度、土曜日からここに泊まり込み、クラブ局F6KAWを運用しました。早朝にロングパス(電波が南半球経由で届く)で日本がオープンしました。今のように電話が発達しているわけでも無く、もちろんインターネットなど誰も考えていなかった時代です。 久しぶりに聞く日本語は懐かしかったです。特に京都DXクラブで一緒だったJA3ARTさんが呼んできてくれたときは感激でした。
F6KAWが入っているアパート |
Heathkit のラインアップ |
このクラブではずいぶん歓迎して頂きました。特別メンバーとしてクリスマスのパーティーにも呼んで頂きました。まだ余り良くフランス語がしゃべれなかった時期でしたが、フランスの大 OM と一緒に楽しいひとときを過ごすことができました。(1974年12月17日)
AIR --- Association Internationale des Radioamateurs
1990年に半年間仕事でパリに滞在しました。パリ5区のアパートからUHF/VHFのハンディー機を使って主にレピータ経由で交信を楽しみました。その時に紹介してもらったクラブがこのAIRです。ミーティングにはよく顔を出し、楽しい時間を過ごすことができました。
パリのハム事情についてはCQ ham radio誌(CQ出版社)の1991年9月号p.343に掲載されています。
秋にはパリの西にあるヴァンセンヌの森で開かれたフォックス・ハンティングを見に出かけました。天気に恵まれ、シャトーの森は結構な人出でしたが、アンテナを担いで走り回るクラブメンバーに、周囲からは奇異な目で見られました。
シャトーの前に全員集合 |
皆、思い思いに準備をします |
変なアンテナを持ってゴミ箱をあさるおじさんたち。皆、奇異の目で見ています。 |
戦い終わって、ワインで乾杯! |
パリのハム達を紹介したCQ誌の記事