こんなことをしてきました
小学生の頃から結構理科は好きで、父親が真空管ラジオやアンプを作ったりしているのを見ていました。中学に入ると無線部があったので、早速入りました。
顧問の先生はJA3AJで、無線の基礎はもちろんのこと、物作りの楽しさを教えて頂きました。皆でラジオやアンプを作ったりし、またモールスコードを覚えたのもこの頃です。アマチュア無線の免許は
取りませんでしたが、クラブにあった27MHzの市民バンド用トランシーバーで交信をして、無線通信の面白さを知ることが出来ました。
また、この頃は5球スーパーラジオで海外の放送局を聞く、いわゆるBCLにはまり、聞いてはレポートを送ってベリカード(受信証)を集め、遠い海外に思いをはせていました。海外に興味を持つことになった
一つの動機かもしれません。
開 局
大学に入学するとすぐに無線の免許を取り、1968年にJA3RTU局を京都市の自宅に開設しました。もちろん,当時の無線機は現在のような近代的なものではありませんでした。 私の最初のSSB送信機は中古で入手したヤエスのFL100Bで,ほとんどの回路は真空管で構成されていました。この無線機はすこぶる丈夫で,連続使用によく耐えましたが,VFOの安定性は良くなく、 運用する30分前頃から電源を入れておくようにしていましたが,それでもなおかつQRHに悩まされました。受信機はキットで購入して組み立てたトリオ(現ケンウッド)の9R59Dでした。VFOのバリコンはギヤードライブではなく, 糸で動かしていました。14MHz以上の高いバンドでは感度も不足し,安定性も悪かったのでクリスタルコンバータをつないでいました。ですから,受信機はトリプルコンバージョンとして働いていたことになります。
私の最初のアンテナはアルミパイプと木材で自作したロータリーダイポールでした。指向性は8の字型ですので大抵は固定したままで交信できましたが、エレメント方向のサイドになる局と
交信するためには家の外に出てアンテナを回してやる必要がありました。1970年に2級免許を取得,14MHzで運用できるようになりました。その機会にアサヒ精鋼のAS-33という3エレメントで14、21、28MHzを送受信できる
トライバンド・ヤギアンテナを購入しました。何分,貧乏学生だったため,他のリグはそのまま使わざるを得ませんでした。
開局した当時は第20太陽周期の黒点数極大値の頃で、14MHz以上の短波帯での電波の伝播が非常に良く、手作りのお粗末なアンテナでも地球の裏側まで私の声が届くことがわかり興奮したものです。
自分では英語はしゃべられるとは思っていなかったので、最初は恐る恐る怪しげな英語で交信を始めました。ビームアンテナを設置してからは安定して交信が可能となり、特にアメリカのハムたちとしゃべり込むことが多くなりました。
そのうちの一人が,ラグチュウクラブ(Rag Chewers' Club)に推薦してくれるほどでした。今、英語をほどほどにしゃべることが出来るのはアマチュア無線のおかげです。また、恩師、JA3AJさんたちが創立した、海外との交信を楽しむ団体、
京都DXクラブ(JA3ZDX)に属し、私よりもずっと年上のベテランの方々と一緒に活動しました。無線だけではなく、海へ行ったり、宴会をしたりといろんな事を楽しみました。また、海外から京都を訪れた無線仲間との交流も楽しい想い出です。
その後1974年からフランスへ留学することになり,1976年に帰国しましたが就職した事による多忙に紛れて、以降はほとんど運用しなくなりました。
そして再開!
1985年になって,移り住んでいた福井市で再び開局することにしました。しかし,長いQRTの間に,アマチュア無線の世界はすっかり様変わりしており,「浦島太郎」
状態でした。全て半導体化し,マイクロプロセッサで制御されている小型の無線機には特に驚かされました。かつて,CQ誌で紹介された航空機に積まれているというオートマチックアンテナチューナーを
驚異の目で見たものでしたが,それが簡単に手にはいるようになっているのも感動物でした。当時は官舎に住み、所謂アパマンハムだったため大きなアンテナを立てることはできず、5バンドGPアンテナと
ヤエスのFT757GXで再開しました。このトランシーバーを車に積んで、短波帯(HF帯)のモービル局も開局しました。HF帯でモービル運用するのは,高校の恩師であるJA3AJが車からDX QSOをするのを見て以来の夢でした。
再開した頃から1990年にかけては再び太陽周期がサイクル22の太陽黒点数極大期になりました。それに合わせるように官舎の上に短縮型の14-21-28MHzの3エレメント八木アンテナを立てる許可を得、
世界中と楽に交信できるようになりました。無線の交信を通じて知り合いになった人たちと海外へ行った際に実際に会うこともでき、この趣味の醍醐味を味わうことになります。海外の人たちとの交流も
このホームページで紹介しています。
1990年代からデジタル技術の応用やコンピューターの利用がアマチュア無線の分野でも飛躍的に進みます。静止画像をデジタル化して短波帯無線で送るSlow Scan TV (SSTV)、コンピューターでデジタル化した文字情報を
無線で送る、パケット無線、Amtor、RTTYなどが手軽に出来るようになりました。また、日本でもアマチュア無線と公衆通信回線の接続が認められるようになり、海外を含めた遠距離の局とインターネット回線を
通じて簡単に交信できるようになりました。アメリカで開発されたVoIPを利用したEchoLink、日本で開発され、世界中で発展しつつあるD-Starの運用もやっています。そのような新技術についても
このホームページで紹介します。