ピレネーでハンディー機で運用
14 MHz バンドの下の方、14.120 MHzあたりはfréquence des francophones(フランス語をしゃべる人の周波数)と言われ、フランス本国はもちろん、タヒチやニューカレドニア、レユニオンなどのフランス語圏のハム達、さらにオーストラリアに 移住したフランス人達がおしゃべりをしています。コンディションがいいときにそのあたりの周波数でいろんな人と知り合いになりました。何度かフランスを訪問するたびに彼らとアイボールQSO をすることができました。顔を見たこともない彼らとすぐに打ち解け合え、 家にまで招待されました。アマチュア無線の醍醐味です。なお、南/南西フランスのハム達についてはCQ ham radio誌(CQ出版社)1989年12月号p.358に投稿しています。
F6HEG Roland
南仏ニーム(Nîme)に住むRolandは郊外の一軒家に14MHzの4エレメント・モノバンドヤギアンテナを立てています。ロケーションは非常に良いのでロングパス(南半球経由の経路)での彼のシグナルが非常に強力な理由がよく分かりました。家族と一緒に 夕食をごちそうになりました。(1989年7月)
F6IUS Luis
南西フランスの小都市トゥールーズ(Toulouse)はエアバス社があることでも有名です。Luisの家は郊外の高台にあり、ロケーションは非常にいい場所です。彼の家へは、この写真を写した1989年7月の後にも1990年12月に訪問しています。 そのたびにおいしいワインと地方料理「カスレ」やフォアグラをごちそうになりました。独特の南西フランスなまりがあるフランス語が懐かしいです。
F6IKT Marcel
トゥールーズの北西、直線距離にして100kmほどにある小さな町メザン(Mézin)に住むMarcelはオールドタイマーです。庭には自作のタワーがあり、アンテナはタワーごと回ります。余り高さはないのですが、いつもシグナルが強いのはロケーションの良さでしょう。 彼のヴィンテージ物のラジオや無線機のコレクションはとても魅力的です。彼の家には翌年の冬にもまた訪れました。(1989年7月)
F6BOC Gérard
F6BOC ジェラールとは1991年3月に21 MHzバンドで初めて交信しました。何度か交信しましたがその年の暮れに妻とフランスへ行く予定をしていたので、会うことにしました。フランス中部、ロワール川沿いのソーミュール近くの小さな村、 Argenton l'Église (アルジャントン・レグリーズ)に住んでいました。ちょうど車でロワール川の城を訪ねるつもりだったので立ち寄ることにしたのです。12月28日の夕方に村へ向かいましたが既に暗く、道がよくわからない中、無線で連絡を取りながらたどり着きました。彼の家では ご両親と一緒に夕食をごちそうになりました。その日は村の小さなホテルに泊まり、次の日の朝に再び無線局を見せてもらい何局かと交信しました。その日は一緒にソーミュール城を案内してもらいました。
F6BOC Gélard のシャックで |
F6BOC のアンテナ。私の妻と。 |
F5LIT Emmanuel
1998年の8月、ノルマンディー地方カ-ン(Caen)に滞在していた折りに、城を散歩しながらハンディー機でカーンの145 MHZバンドのレピーター(中継局)を経由して電波を出すと、たまたま呼んできてくれたのが彼でした。彼はカーンから75kmほど西へ行った、 ノルマンディー上陸作戦で有名になったサント・メール・エグリーズ(Sainte-Mère-Église)に住んでおり、その時は会うことが出来ませんでした。その後、日本からは14MHzや21MHzバンド、インターネットを利用したEchoLinkで交信することができました。 そんな彼が2005年5月に日本へやってきました。京都で初めて会うことができ、ちょうど葵祭当日だったこともあり京都を案内しました。夜は小さな料亭で一緒に食事をしましたが、とても喜んでもらえました。彼は帰国後にフランスの無線雑誌MEGAHERZ 9月号に 日本訪問の記事を載せています。
フランスの雑誌、MEGAHERZの2005年9月号に掲載されたF5LITの日本訪問記。 画像をクリックするとpdfファイルが別ウィンドウで見られます。 |
その後も無線やSkypeでよくつながり、息子が語学研修のためにディジョン(Dijon)に滞在していた2015年にはノルマンディー作戦記念日の6月6日に呼んでくれ、貴重な体験をすることが出来ました。その翌年、2016年の5月には私が車でノルマンディーを 旅行した際、初めて彼の家に立ち寄りました。そして最近では新しいデジタル通信モードであるD-Starを使って時折しゃべっています。